若穂幼稚園 創立50周年
みな仏の子
伝えよう命の尊さ 仏の心
「慈しみの心」いつまでも、そしてこれからも
創立50周年 特設ページ
御礼のごあいさつ
学校法人和田学園
理事長
和田典雄
昭和40年代半ばからのいわゆる第2次ベビーム時には、若穂地区の出生数も急増し、子どもたちを長野市立の綿内、川田、保科、白塚の4保育園では受け入れきれず、今で言うところの「待機児童」というものが存在してしまう状況でありました。
そこで、地域の役員の方々が長野市に更なる保育所の新設を要望しましたが、これ以上の公立での設置は不可能であるので、民間力を活用し、且つ若穂地区に幼稚園がないことから私立幼稚園の設立がいいのではないかという提案を受けました。これを受けて地域の役員の方々から、かねてより正満寺先代住職が日曜学校等を行っていたこともあり、正満寺で私立幼稚園を開設して欲しいということになり、寺の総代と相談の結果、先代住職の遺志を継いで幼稚園創設を決意したのであります。
本堂の北側に広がる桑畑を造成し幼稚園を建てることとなり、当時長野市議会議員で寺の総代でもあった中澤正美様、総代の安藤安之様のご助力を頂き、篠ノ井学園様、ひかり幼稚園様等を見学に行き、そして、滝澤木材様、山口製材所様、岡部建設様のご支援で建設が始まり、昭和48年12月25日学校法人和田学園若穂幼稚園の開設認可を長野県より賜り、翌昭和49年4月に開園することができました。園長は義兄で高校教諭であった松岡弘泰氏に依頼し、年長児6名を含む71名でのスタートでした。その後昭和54年には1学年が80名となるなど、教室が足りない状況となり、昭和55年8月園舎増築を行いました。そして、昭和59年に私自身が理事長・園長に就任しました。
思い起こせば、開園より本日にいたるまで多くの方々のお支えを頂き、お育て頂きました事に深く御礼と感謝を申し上げると共に引き続きのご支援ご鞭撻をお願い申し上げます。
学校法人和田学園
園長
和田典善
50年前という時代は、カラーテレビが急速に普及し始めた頃であり、高度経済成長の真っ只中を突き進む未来に希望と夢がある、そんな時であったようです。その後、時代が変化するスピードは加速度的にその速さを増し、今ではその速度は人間の順応速度を越えてしまっているかのような時代となりました。
一方、子どもたちを取り巻く環境は、人間社会の営みの高度化とともに進展していっていたかのように見えていましたが、いつの間にか反比例するような状況へと変わってしまいました。いつしか、子ども達の外で遊ぶ姿が消え、家の中でタブレットをさわり、虫や魚採りをして遊ぶことから、SNSで繋がる社会へと変わってしまいました。この様な時代だからこそ、私たちが担わせて頂いている乳幼児保育・教育の存在意義や役割、そしてその責任はより一層萬まっているように感じます。
人には乳幼児期にしか育めないこと、乳幼児期に育んでおかなければならないことがあります。これらを、子どもたちが友だちと遊びながら、関わりあいながら、しっかりと育んでいけるからこそ、幼稚園は生涯にわたる人格形成の基礎を培う場所として非常に重要な使命を付託されているのです。
私たちはこれからもこの思いを胸に、これからの未来を生きる子どもたちに必要な力を育む幼稚園として、社会の一炭を担わせて頂く決意を固くし、次なる50年を歩んで参りたいと思います。
これからも、引き続き皆様方の倍旧のご支援、ご指祁をよろしくお願い申し上げます。